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八軒家タイムトラベル 明治三十六年(一九〇三年)三月一日〜七月三十一日

入場者なんと450万人!
欧米十三ヶ国が参加した
日本初の万国博覧会

図1)
第5回内国勧業博覧会会場正面

明治三十六年(一九〇三年)三月一日から七月三十一日までの五ヶ月間、天王寺を会場に第五回内国博覧会が開かれました。フランス革命百周年記念と銘打ったパリ万博が一八八九年(この時エッフェル塔が建てられました)。そのわずか十四年後のことです。

これは日本の勧業政策に基づく国家プロジェクトで、すでに東京の上野公園で一〜三回、四回目は明治二十八年、京都で開催されています。大阪が会場となったこの博覧会は、これまでと違って英・米・独・仏ほか欧米十三ヶ国が出品した「日本初の万国博覧会」といえるものでした。

図2)
内国博覧会会場マップ

この日本初の万国博覧会では
大川沿いの観光スポットが人気に。
市内巡航船も大活躍です

まだ大阪に市電が走る前でしたから、入場客を会場まで運ぶ交通網がありません(現在の環状線に当たる関西鉄道・城東線などは開通していましたが、市内の足がありませんでした)。当時は人力車が主体、二万台は走っていたといいます。しかし、それでも到底、期間中四百五十三万人以上もあった入場者を運びきれません。

図3)
明治30年代後半の大川。左手前から府立図書館、旧中之島公会堂、建て替えられた大阪ホテル。

そこで大活躍したのがこの博覧会を機に整備された市内堀川を運行する巡航船です。博覧会会場の天王寺周辺だけでなく、これを機会に大川沿いの整備もすすみました。中之島公園には公会堂が建設され、明治三十四年に全焼していた大阪ホテルも三十六年一月には新築落成して外国人客を迎える準備も整いました。博覧会のガイドブックには「中之島公園」「大坂城」「造幣局」「公会堂」などの大川沿いの観光スポットが紹介されています。

本邦初の蒸気自動車や
133坪もある巨大冷蔵庫。
カメラやタイプライターも登場

博覧会場では工業館、教育館、農業館、林業館、水族館などが設けられ、内外展示品の総数は二十七万六千点にも及びました。なかでも話題を呼んだのが蒸気自動車。これが大阪で自動車が紹介された最初です。あとカメラやタイプライターなども出品されています。とくに毎日五トンもの製氷能力のある百三十三坪もある巨大冷蔵庫は浪速っ子の度肝を抜きました。

図4)
新世界ルナパーク

博覧会を機に大阪の道路整備もすすみ、閉幕後になりましたが市電も開通、乗合バスも開通します。開幕前に営業を開始した市内巡航船は、市民の足として一日平均二万人近くの人を運んだといいます。

凱旋門にエッフェル塔を
乗せたら、初代の
通天閣になりました

図5)
初代の通天閣

博覧会会場の跡地は、東側が天王寺公園に、西側一帯は「大都市大阪にふさわしい一大歓楽街」として開発がすすみます。パリとニューヨークを足して二で割った街「新世界」を作ろうという構想のもと、北には凱旋門にエッフェル塔を乗せた通天閣が完成、浪速のシンボルともなりました。南にはニューヨークの都市型リゾート「コニーアイランド」を参考にした遊園地「ルナパーク」が開園、その後目覚ましい発展を遂げます。
(平野)

(パノラマ写真説明)中之島にあった旧大阪ホテル(現在の東洋陶磁美術館付近)屋上からのパノラマ写真 (博覧会が開かれる二年前の明治三十四年秋の撮影)。中央やや左に中之島の東端が見える。手前が難波橋、その先に天神橋、天満橋。難波橋を部分拡大してみると人力車が走っているのが見える。当時は市内の移動手段は人力車がメインだったが、巡航船の就航で人力車夫はずいぶん客を取られた。
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