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八軒家タイムトラベル 安政六年(一八五九年)六月二十五日
花火、篝火、御迎人形
大阪の夏は
川の上が一番熱い。


大阪の川の天神祭かな  青木月斗

ん? えらい真っ正面な句? なるほどそうではありますが、口の中で二、三回ころがしていると、この句の大きさ、調子の高さがよくわかります。月斗さんにとって、天神祭は誇りやったんですな。「これしか、よういわんわ」という声が聞こえてきそうです。
作者の青木月斗は明治十二年(一八七九年)生まれの、生粋の大阪人。

図1)「浪速天満祭」歌川貞秀

大阪の夏を彩る大祭。天暦五年(九五一年)に神鉾を流して、流れ着いたところを斎場とし心霊を禊したのが始まりという。船渡御は著名で、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して戎島の御旅所まで往復した。地盤沈下の影響で昭和二八年(一九五三)からは大川を遡行することになった(大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」より)。

さて、ここでご覧いただきます錦絵は歌川貞秀作の「浪速天満祭」図。いまから約一五〇年前の天神祭の様子がダイナミックに描かれています。貞秀は幕末〜明治の絵師で、月斗が生まれる直前に亡くなっています。

そのなかの暗き船こそ神輿ませ  長谷川素逝

この絵のほぼ中央部をごらんください。金色の立派な神輿のようなものが乗っている船こそ御鳳輦奉安船。菅原道真公の御霊をお移ししてあります。催太鼓船や御迎人形船など華やかで賑やかな船の中で、この御鳳輦奉安船の周りだけがしんと静まりかえっています。

人形の宿禰はいずこ祭船  後藤夜半

これは、御迎人形船のことをよんだ句。この絵の中にも、加藤清正や関羽や佐々木高綱などの御迎え人形船が描かれています。宿禰とは、野見宿禰(のみのすくね)のことですかいな。

舟渡御を見るかほあつき篝かな  青木月斗

月斗さんの句を、もう一句。そして、錦絵はこちらをご覧いただきましょう。

図2)『浪速百景「天神祭り夕景」』歌川国員

『浪花百景』は、幕末大坂で活躍した浮世絵師、一養斎芳瀧・南粋亭芳雪・一珠斎国員の合作になる浮世絵一〇〇枚で、大阪の風景組版画として最も整ったものとして名高い。各人の分担は、芳瀧三一枚、芳雪二九枚、国員四〇枚、描かれる風景は、すべて当時の地誌や見立て番付にみ られる有名な風景・風物であり、同じ題材を描くにも季節や時間による変化をもたせるなど、それぞれに工夫が凝らされている(大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」より)。

国員作の「天神祭り夕景」。夜空を覆い焦がすような、篝火の炎と煙です。今と違って当時はあちこちに篝火を焚いて、川面を照らしてたんでしょう。そばで見物してる人は、そら熱かったでしょうな。

さて、それではもう一句。

鬢付けの香も鮮しや天神祭  楠本憲吉

図3)『浪花百景之内「天満御旅所」』長谷川貞信

かつて、天神祭の船渡御は、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して川を下って御旅所まで往復していた。天満宮の御旅所は延宝年間頃に雑喉場からこの戎島に移転している。天神祭の日は屋形船に御迎人形を飾り、太鼓、三味線、笛などのお囃子が華麗で、この光景をひと目見ようと多くの人たちが押し寄せてきたという。明治以後に御旅所は松島に移転した(大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」より)。

錦絵はこちら。貞信(初代)作の「天満御旅所」図です。この句を受けるにふさわしい絵かどうかはわからないのですが、屋形船の中に粋筋らしい女性の姿が。この絵は、かつて戎島にあった天満宮の御旅所の景色です。当時の船渡御は、難波橋からこの御旅所まで往復していたのです。

天神祭しんどき暑さいたりけり  成瀬桜桃子

これからしばらくは、まさに暑さのど真ん中。読者のみなさまにも、くれぐれも体調を崩されませんよう、おいしいもんを食べて、がんばっていきましょう。
(先田)

図4)『浪花百景「天満天神地車宮入」』歌川芳瀧

以前この辺りは、孝徳天皇が長柄豊碕宮を設営した時に乾の位に魔除けの神大将軍を祀った祠のある「大将軍の森」と伝える。村上天皇の勅願で、天暦三年(九四九年)社殿を創建、天満宮を勧請した。これは道真没後四七年に当たる(大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」より)。

※歌川貞秀の「浪花天満祭」の錦絵を、大画面に拡大してご覧いただけます。御迎人形の一つ一つ、橋上の見物人の一々が手に取るように描かれています。ご覧になりたい方は、こちらまで。
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