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八軒家タイムトラベル 慶長二十年(一六一五年)五月七日
大坂夏の陣図屏風(2)

八軒家かいわい
大川べりの
阿鼻叫喚絵図。

大和川の大川への合流地点辺りまで逃げのびれば東軍もまだ北から攻め込んできていません。しかしここでも惨劇が繰り広げられました。

図)
「大坂夏の陣図屏風」左隻(クリックで開・閉)

京橋も天満橋も焼き払われているため、北へ避難するには大川を渡る以外にありません。家財を担いでの移動ですから川に流されたり、溺れたりするものもいます。馬にしがみついて渡る女、小舟で渡ろうとする者、水流に流されながら泳ぐようにしてわたる男女…。彼らを誘導している兵士もいます。

水は胸あたりまであります。でも逆に大川がそんなに浅かったでしょうか。当時の大川は今とは比較にならないくらい水量が豊かでした。いくら誇張があるとはいえ、これはおかしいような…。なぜでしょう。

図4/淀川・大和川合流点附近の惨状(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。この附近では多くの死体が川底に沈んでいて、避難する人々はその死体の上を踏み越えて川を渡っていったという記録が残っています。馬に縋り付いているのは侍女たちでしょうか。

大和川と大川の合流地点は死屍累々。
人々は死体を踏み越えて川を渡ります

冬の陣の際、徳川方は大坂城を攻め倦んでいました。その大きな要因が川や堀で進軍を阻まれていたこと。そこで家康は淀川を上流で堰き止め、大川(天満川)を干上がらそうとしたのです。土俵二十万俵を用意して、上流の江口や長柄に堰堤を築いて淀川の水を神崎川へ落とさせたのです。
天満川には大和川の水が流れ込むため、完全には干上がりませんでしたが、それでも膝までくらいの水位になったといいます。夏の陣でもこうしたことがあったのでしょう。とはいってもこの川越えで多数の死者がでたことに変わりはありません。避難民は川底の死体を踏み越えて大川を渡ったといいます。

大川を渡って逃げる敗残兵と町人たち。
でも対岸には徳川方の鉄砲隊が!

徳川方の追撃を受けて敗残兵が大川(天満川)へ追い詰められます。天満橋は北側から敵が攻め入るのを防ぐために合戦前に豊臣勢によって焼き払われていました。川を渡るしかありません。

荷物をまとめて避難する市民も同じです。燃え残った橋杭にすがり付いている女。流れに飲まれて溺れかかっている者。ふんどし姿で妻の手を引く亭主。みな必死の形相です。

対岸からは徳川方の堀尾忠晴や有馬豊氏の鉄砲隊が狙いを定め、じりじりと川を渡ってきます。もはや逃げ場はありません。

図5/天満橋附近(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。川幅のある大川を越えての脱出はかなり厳しいものがありました。特に女たちにとっては恐怖もあり、急ごうにも動くにまかせません。徳川方の鉄砲隊はすでに狙いを定めながら川を渡って近づいてきます。

天満川下流では、豊臣の敗残兵と
堀尾忠晴隊、有馬豊氏隊とが激突

避難民と敗残兵で溢れかえった大川。天満橋の下流、船場辺りの商人が北へ急ぎます。舟を出しても敗残兵が縋り付いて転覆してしまったりもしています。北側の対岸からは徳川勢が押し寄せてきており、さかんに鉄砲を撃ちかけます。市民は、川中で鉄砲の弾が頭の上を飛ぶ中、東軍西軍が斬り合う中をかいくぐりながらの逃走です。

図6/天満橋下流の避難民(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。図の下の方では小舟に人が群がりすぎて転覆しています。鎧も兜も打ち捨ててきた敗残兵が槍を持ってこれから徳川勢と一戦を構えようとしています。女房を背負った男が川を渡っていきます。

合戦下でも商魂たくましい
大坂の町人たち。闇商人も出没

さて合戦最中の大坂の町人の暮らしぶりはどうだったのでしょうか。冬の陣では京橋あたりの路上や堀端で餅やうどん、雑炊などを雑兵たちに売る、商人たちがいました。酒やたばこを商っていたものもいます。
しかし夏の陣ではそんな光景は見られません。負け戦は確実。したたかで、たくましい商人たちも、今回は一刻も早く東軍の進攻から逃れなくてはなりませんでした。

夏の陣に際して家康は諸大名の補給船や民間の輸送船の大坂への入港を禁止しました。決戦を控えて、大坂方への兵糧補給を阻止するために大坂港を前面封鎖しようとしたのです。これは、町や村での軍による兵糧の買い付け、「町民米」への依存を招き、市場での米価の高騰をまねきました。

冬の陣の際、世間の米の相場は米一石あたり銀十七、八匁でしたが、大坂城内(戦場)での米価は銀百二十〜百三十匁へと跳ね上がっていました。夏の陣でも同じだったでしょう。

兵糧の不足は徳川方の兵士も同じでした。こうした兵士たちの窮乏が、戦場での略奪を避けがたいものにします。合戦後にはこれらの略奪品を売りさばく闇の商人たちが存在していました。
(平野)
図1/大坂城を脱出する人々
図2/船場附近を北へ急ぐ避難民と兵士たち
図3/大坂城外東北部の混乱
図4/淀川・大和川合流点附近の惨状
図5/天満橋附近
図6/天満橋下流の避難民
図7/追い首・にせ首と婦女の惨禍
図8/7に同じ(天満天神境内)
図9/長柄川を渡る避難民
図10/若い娘を取り囲む雑兵
図11/神崎川を越えて避難する人々と野盗
※タイトルは「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」による。

参考資料
「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」(桑田忠親編 中央公論社)
「戦争と民衆ー『大坂夏の陣図屏風』の世界」(歴史地理教育2003年6月号 北川央著 歴史教育者協議会)
「大坂の陣 証言・史上最大の攻防戦」(二木謙一著 中公新書)
「大坂城秘ストリー」(渡辺 武著 東方出版)
「新版 雑兵たちの戦場ー中世の傭兵と奴隷狩り」(藤木久志著 朝日新聞社)
「完全制覇 戦国合戦史」(外川淳著 立風書房)
「戦国争乱を生きるー大名・村、そして女たち」(舘鼻誠著 日本放送出版協会)
「戦国の村を行く」(藤木久志著 朝日選書)
「新編 日本合戦全集 天下平定編5」(桑田忠親著 秋田書店)
「雑兵物語 おあむ物語 附おきく物語」(中村通夫校訂 岩波文庫)
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