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八軒家タイムトラベル 慶長二十年(一六一五年)五月七日
大坂夏の陣図屏風(3)

両軍の雑兵が
暴徒と化して
避難民を襲う!

大坂夏の陣の戦禍を避けて、大川を命からがら渡った人たちは、無事に逃げのびることができたでしょうか。

図)
「大坂夏の陣図屏風」左隻(クリックで開・閉)

敗残兵から「追い首」
逃げ回る市民から「にせ首」

図7の右上をご覧下さい。これは東軍の兵士が、腕を切り落した兵の髪をつかみ、まさに首を打とうとしているところ。「追い首」といい、逃げる敗残兵から挙げた首です。


図7/追い首・にせ首と婦女の惨禍(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。絵図の左隅では若い娘が東軍の兵士から連れ去られようとしています。横で泣きながらわが子を慰めながら一緒に連れていかれています。こうして多数の市民が奉公人や下女として売られていったのです。

渡りきって天満天神にたどりついた避難民はほっとひと息というはずですが、そうはいきませんでした。図8の上部、いましも兵士が町人をとらえて切りかかろうとしています。これは「にせ首」を狙っての狼藉でしょう。戦場では、雑兵たちは町人や百姓の首を取って敵方の首級だと偽って(これが「にせ首」)恩賞を得ようとしました。

図8/天満天神境内(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。天満天神の鳥居が見えます。ようやく大川を渡りきってちょっと安堵の表情を見せる人々。しかし絵図右上では、兵士につかまって首を取られようとしている町人がもがいています。

もう一度、図7をご覧ください。兵士が母と娘をどこかへ連れて行こうとしています。泣きじゃくる娘を母親が慰めてでもいるのでしょうか。これはまぎれもなく徳川軍による人狩り、奴隷狩りの図です。

元和元年(一六一五年)五月、醍醐寺の義演は「家康が昨日、伏見城へ入った。連衆も女・童らを生け捕って引き揚げてきた。あさましい限りだ」と戦場での人取りについて書き残しています。

東軍からほうほうの態で逃れてきて、さらに北へ向かうと今度は長柄川です。もう避難民は精根尽き果てた様子です。しかしこのあたりまで来ると東軍の姿は見えません。

図9/長柄川を渡る避難民(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。現在の新淀川。北へ急ぐ避難民と敗残兵が小舟に乗り、あるいは泳いで対岸へ渡ろうとしています。甲冑を脱ぎ捨てた兵士たちの姿も見られます。

略奪の対象は人間にまでー
幕府も乱取りを黙認していました

この戦いでは関ヶ原のときのように、勝てば論功行賞によって大きな恩賞が期待できるというものではありませんでした。勝ったところでわずかに豊臣六十五万石の領地が手に入るだけで配分額はたかがしれています。東軍兵士の意気が上がらないのも当然でした。

葵の紋をつけた徳川方の兵士をはじめ、れっきとした大名軍の雑兵たちが大坂の町中で乱取り(略奪)に熱中するさまをこの屏風絵は活写しています。
雑兵たちには、御恩も奉公も武士道もない。懸命に戦ったとしても恩賞もない。そんな彼らを軍につなぎとめるには、戦いのない日に乱取り休暇を設け、落城のあとには褒美としての略奪を解禁するほかなかったのでしょう。

戦場での略奪は作物や食料、家財にとどまらず人間にまで及びます。人間狩り、奴隷狩りが行なわれていたのです。略奪された人々は各地へ下女や奉公人などとして転売されます。

図10/若い娘を取り囲む雑兵(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。色白でふくよかな娘が雑兵らに両手を取られ、乱暴されようとしています。三菱葵紋ですから、彼らは遠国からはるばる参戦した徳川方の東国兵と思われます。

名のある武将の首を取れば手柄となり褒美も手に入りますが、雑兵や町人、村人を殺しても得るものはありません。しかし生け捕りにすれば奴隷として売ることができたのです。合戦で一つの城が落ちたら城下にはそのあと、生け捕りにした人々を売る市が立ったといわれています(略奪されても無事に返されることもありました。身代金と引き換えに人質が返された場合です)。

ようやく北摂津の農村部まで逃げのびた
避難民を待っていたのは野盗の群れ!

神崎川を越えて、ようやく北へ逃げのびた落武者や避難民を待ち構えていたのが野盗の群れと追いはぎ。大小の刀を差し出したり、自ら着ていた衣服を脱いで差し出したりしています。抵抗しても図のように身ぐるみをはがれます。野盗どもが相手構わず、片っ端から避難民をつかまえて略奪の限りを尽くしています。

図11/神崎川を越えて避難する人々と野盗(「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」より)。絵図の右端が神崎川。これを越えて北摂津の農村に逃れてきた避難民です。ところがこのあたりにも「合戦こそ稼ぎ時だ」と野盗が横行しています。身ぐるみをはがれ、裸で命乞いをする女、首を打ち落とされた夫のそばで呆然とする女などが描かれています。

こうした中をなんとか生きのびて、京まで逃走した落人たちは一万か二万人だったと記録に残っています。

夏の陣のあとも豊臣方の残党狩りが
畿内だけでなく遠国にまで続きます

千姫による助命嘆願も聞き入れられず秀頼と淀君は八日の午後自害。しかし戦闘が終わってからも執拗な豊臣方残党狩りが続きます。男女幼老を問わず徹底して召し捕られていきました。それは畿内近国はもちろん遠く離れた諸国にまで及びました。

さて、いかがでしたでしょうか。武将たちの勇壮な戦いぶりが描かれる合戦図のなかにあって、こんなに生々しく市街戦の悲惨な状況を描いた絵屏風はほかに例がありません。

なぜ黒田長政はこんな悲惨なゲルニカ夏の陣版ともいうべき屏風絵を描かせたのか―。これは豊臣秀吉に恩顧がありながら心ならずも徳川方で戦った長政が、旧主のために捧げた挽歌(残虐極まりないものではありますが)ではなかったかといわれています。
(平野)
図1/大坂城を脱出する人々
図2/船場附近を北へ急ぐ避難民と兵士たち
図3/大坂城外東北部の混乱
図4/淀川・大和川合流点附近の惨状
図5/天満橋附近
図6/天満橋下流の避難民
図7/追い首・にせ首と婦女の惨禍
図8/7に同じ(天満天神境内)
図9/長柄川を渡る避難民
図10/若い娘を取り囲む雑兵
図11/神崎川を越えて避難する人々と野盗
※タイトルは「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」による。

参考資料
「戦国合戦絵屏風集成 第四巻」(桑田忠親編 中央公論社)
「戦争と民衆ー『大坂夏の陣図屏風』の世界」(歴史地理教育2003年6月号 北川央著 歴史教育者協議会)
「大坂の陣 証言・史上最大の攻防戦」(二木謙一著 中公新書)
「大坂城秘ストリー」(渡辺 武著 東方出版)
「新版 雑兵たちの戦場ー中世の傭兵と奴隷狩り」(藤木久志著 朝日新聞社)
「完全制覇 戦国合戦史」(外川淳著 立風書房)
「戦国争乱を生きるー大名・村、そして女たち」(舘鼻誠著 日本放送出版協会)
「戦国の村を行く」(藤木久志著 朝日選書)
「新編 日本合戦全集 天下平定編5」(桑田忠親著 秋田書店)
「雑兵物語 おあむ物語 附おきく物語」(中村通夫校訂 岩波文庫)
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